ほんわか幸せな日々:つぶらな瞳のポポロとの生活
第1章: 孤独とわんこ
60歳を超えて、私は一人暮らしの日々に少しずつ寂しさを感じるようになっていました。子供たちはそれぞれの生活があり、もちろん友人はいるけど家にいるとひとりだと実感してしまう。10年前には最後のわんこと思って暮らしたコロという名前の柴犬が虹の橋を渡りました。この年齢で柴犬の散歩・獣医さんでの診療台へ抱っこして持ち上げるなどは無理だと思っていました。
第2章: 相棒との出会い
ある日、友人にすすめられてブリーダー直営店に立ち寄った私、そこにはトイプードルやチワワなどのかわいいわんこが沢山いました。でも、どのわんことも目が会わなかったのです。店員さんに『他のお店には違う子たちがいるのでホームページを見てくださいね。』と紹介されて、家に帰って早速どんなわんこがいるのかなと興味本位で見始めたのです。思いもよらず、なぜだかあるわんこに目がとまりました。その子はくるくると愛らしい茶色の毛並みと、ほんわかした表情で写っていました。こういうのを出会いというのでしょう。お店に電話して、他の店舗から連れてきてご対面可能とのこと、もうこの時点で迎える気持ちまんまんです。
第3章: 新たな家族の一員迎える覚悟と決意
迎えるとなるとちゃんと最後まで世話ができるのか、コロの時のように病気にかかれば多額の費用がかかります。コロを迎えたときは私も若かった。その時は、費用のことを考えもせず迎えましたが、今回はそうはいきません。平均寿命、診察費用、ペットの保険代、トリミング費用、ごはんやおやつ代、その他のわんこグッズ費用などを書き出しました。おおよそ、普通車1台分を購入する費用がかかることになると知り合いの旦那さんからも教えてもらいました。加えて、地震などの災害のときには一緒に避難できるのかなど調べることは多くありました。
そして、息子たちにも報告しなければなりません。結果、やはり反対されました。それは、私の年齢のこと、小型犬が長生きするということで最後まで本当に面倒をみてやれるのかという冷静な意見です。
そこで、老齢になった場合に引き継いでもらえる知人探しをしました。もちろん費用も込みのつもりで預けるということで探しました。他にも老犬介護の施設も探して息子たちを説得しました。
将来的にはどうなるかはわかりません。ただ、私が責任をもって最後までみるという覚悟と自分の健康により注意するということを決意しました。
第4章: 笑顔と共に過ごす日々
わんことの生活は、私の日々にほんわかとした笑顔を運んできました。仕事から家に帰ると、めちゃくちゃ喜んでくれる、そんなほんとうにかわいくて愛しいです。家の中の雰囲気もやわらかくなりました。反対していた息子も次第に少し相手をしてくれたり、わんこのお陰で会話ができたりします。
第5章: 相棒への感謝
散歩中には、他のわんこや飼い主さんと出会う機会が増えました。共通の話題から、地域のコミュニティとのつながりがほとんどなかったけれど、わんこという存在がご近所との懸け橋にもなってくれました。たとえ、生まれ育った地域であっても、仕事中心で活動していると地域とのつながりはとても希薄になってしまいます。この先、災害やなにかあったときには必ず助け合わないといけないこともあるとわかっていましたが、唐突に親しくなることはとても難しいことです。わんこのお陰で少しだけでも地域とのつながりが出来始めています。
小さな幸せの積み重ね
小型犬を家族に迎えることで、私の生活は大きく変わりました。寂しさが和らぎ、笑顔が増え、新しい友情が広がっていく中で、日々の幸せが積み重なっていきました。60歳を超えても、新たな楽しみと幸せを見つけることができたことに感謝しながら、私の人生はほんわかとした幸福に包まれているように思います。もちろんいろんなできなくなったことはありますが、それよりもわんこを迎えて本当によかったと思っています。